2021年04月18日

沖縄で過去最多の感染数

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 昨日(4月17日)、仕事の関係で首里城に行ったが、最近は県内の新型コロナ感染が再拡大しているとあって、戻りつつあった観光客もだいぶ減っていた。首里城で最も展望のよい「東アザナ」(首里城壁の東端)はよく込み合い、感染予防で混雑を避けるため、階段の下で待つこともあったが、昨日はそんな配慮が必要もないほどガラガラだった。ちなみにこの日、県内では1日当たりの新型コロナ感染者数が167人を記録、過去最多となった。

 新型コロナに生活を振り回される日々が続くが、それとは関係なく季節は巡る。市内ではテッポウユリが咲き始めた。真っ白で直線的なフォルムは意志の強さを思わせる。
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2021年04月09日

コロナ対策に感じる日本的アイマイ構造

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 最近まで地元紙が、校則に関する連載記事を掲載していた。眉毛の間を剃ることを禁止しているとか、下着の色にまで細かく注文をつけるとか、「ああ、まだ髪型や服装の細かいチェックをしている」と思った。近年、考える力をつけ個性を伸ばす教育がよく口にされるが、実際の学校現場ではそれに反する生徒への管理が色濃く残っているようだ。

髪型や服装の管理と「考える力」「個性」は別ものと考えるかもしれない。だが、大人になる前から、自分のことを一つひとつ判断させ責任を持たせる習慣をつけなければ「考える力」も「個性」も育つまい。生徒だから何かしらの歯止めは必要なのだろうが、髪型や服装についての校則の線引きについて合理的な説明はできまい。「規則は規則」を繰り返すしかない。

 コロナ対策に関する政府の説明を聞いていると、校則の線引きが思い浮かぶ。「まん延防止等重点措置」の沖縄への適用に伴い、飲食店への営業時間の短縮要請が「午後9時まで」から「午後8時まで」に繰り上がるらしい。しかも、感染防止をきっちりしている店かどうかは関係ない。だが、これで何が変わるのだろうか。「午後8時まで」ならば自由に飲んで食べて友人や知人と会ってよいというかといえば、政府関係者らは、時間に関係なく人と会って飲食をともにすればリスクがあると戒める。どのような理由で何を行政が国民に求めているか曖昧でしかない。

 校則と同じように合理的な理由を説明できない。とにかく一定の歯止めとなるラインを引いたのだろう。感染防止の面だけからすれば、飲食店の営業禁止や外出禁止にした方がわかりやすいが、各方面の反発や飲食店への補償、経済への打撃を考慮すると、だいたい「午後8時までの時短要請」「不要不急の外出の自粛要請」にとどまるのだろう。しかし、中学生や高校生の多くは「校則」の一言で従うだろうが、「〇〇時までの時短要請」というメッセージは、大人には分かりにくく受け入れがたい。これからも、全面的な禁止はないものの、行動制限がかかる自粛生活がダラダラと続くのだろう。
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2021年04月02日

学徒兵の慰霊碑は顕彰碑か?

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 地元紙によれば、2020年度の教科書検定に合格した高校歴史総合が、県立第1中学校(首里高校の全身)の戦没学徒を慰霊する「一中健児之塔」に対して、「顕彰碑」と説明しているという。元学徒や沖縄戦の専門家は「戦争美化につながる」と批判している。

 顕彰碑を辞書で調べると、「功績や善行を称え、世間に広く知らせるための石碑」とある。沖縄戦を経験した人や詳しく調べた人からすれば、まるで「国のために自らの命をなげうった英雄」と受け取られかねない。学徒たちは不合理な命令に従わされ、強制的に戦場へ駆り出されたであり、英雄視は受け入れがたいのである。

 こうした「顕彰碑」の記述はたまたまとは思えない。石原昌家著『援護法で知る沖縄戦認識』(凱風社 2016年)を読むと、沖縄戦を歪めようとする圧力は、日本軍の住民虐殺や「集団自決」を、教科書から削除させるにとどまらず、戦争の美化に向かっていることが分かる。同書によれば、沖縄戦で被害を受けた一般住民に対して援護法を適用し国が補償するため、住民が積極的に戦闘に協力したように関係資料を書き換えてきた。日本兵が住民を壕から追い出した行為は、住民が日本兵に壕を提供したことにする。「集団自決」と呼ばれ、住民が集団で自殺を図った行為は、軍事機密の漏洩など日本軍に不利な事態を招くことを避けるための戦闘協力とされる。

 被害を受けた住民やその遺族が補償されるものの、沖縄戦は、住民の積極的な自己犠牲のもと軍民一体で米軍に立ち向かったことになり、戦争の実体を大きくゆがめかねない。実際、集団自決とは住民が「戦闘員の累犯を断つため崇高な犠牲的精神により自ら命を絶つ者」と、すでに国が規定しているという。この背景には、政府は旧日本軍の蛮行を正当化・美化し、沖縄戦をはじめとした戦争観を変えることで、有事の際、国民も自衛隊に積極的な協力態勢をとれるようにしていると著者は見る。
posted by テツロー at 12:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする