2017年04月30日

映像イメージの北朝鮮と沖縄

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 最近、北朝鮮関連のニュース番組では、4発の弾道ミサイルが連続して発射されるシーンと、海岸に並べられた長距離砲やミサイル砲が次々と火を噴くシーンが繰り返し流される。専門家によれば、あのように1カ所にミサイル発射装置や長距離砲をまとめて配置することは敵の攻撃によって破壊されやすくなり実践的ではないという。

おそらく、実践は無視して映像としてのインパクトを狙って北朝鮮側が映像をつくっていることは、日本の番組制作者たちも理解しているだろう。ではなぜ繰り返しニュース番組で使うのか。インパクトがあるからだろう。テレビは短い時間で視聴者の興味を引きつけなければならない。米国の全土を火の海にしてやる、などとかなり刺激的な映像や文面を前面に出す北朝鮮ニュースを繰り返し流すのも同じ理由だろう。

映像イメージは怖い。繰り返し見ているうちに印象が固定化し、それが真実に思えてくるからだ。かなりの割合でハッタリや虚勢が含まれていても、視聴者は不安を煽られ無視できなくなる。北朝鮮側はもともと、そのあたりを意図して映像やニュース文面を制作している。日米政府内部では、政権支持率の底上げに利用しようとしたり、軍備増強の追い風に生かそうとしたりする意図が透けてみえる。基地に批判的な沖縄の動きも、ほとんど霞んでしまう。

ちなみに、沖縄の基地問題といえば、大抵ニュースで取り上げられるのは、機動隊と反対派住民がもみあっているシーンや、集会で反対派が拳を振り上げているシーンである。なぜか。北朝鮮関連の映像と同じ理由だろう。最もインパクトがあるから。しかし、これは基地問題の中のほんの一部にすぎない。沖縄の基地問題といえば、いつも反対、もめている、ごちゃごちゃ不満を言っているというイメージが固定化しなければいいが。
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2017年04月23日

沖縄の米軍基地と北朝鮮をめぐる危機

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最近、那覇市の上空を頻繁に軍用ヘリが行き交っている。メディアで盛んに煽られている米国と北朝鮮の軍事衝突危機に関係しているのだろうか。報道によれば、嘉手納基地では戦闘機を並べて北朝鮮を威嚇する映像が制作されたという。ふだんは在日米軍の必要性を声高に説くメディアも、軍事衝突が起きれば、国内で最初に攻撃の対象となるという視点から沖縄を語ることはない。

全国放送のテレビ番組は、米国と北朝鮮の一歩もひかない「勇ましい掛け声」を垂れ流したり、無味乾燥の数字を並べて江核戦争の恐ろしさを解説したりするだけ。日本政府の立場に関しては、とにかくトランプ政権についていくしかなく、朝鮮半島からの日本人の退避や北朝鮮からミサイルが発射された場合の避難方法など、今、真剣に議論すべきテーマかピントはずれの話題ばかりが流れてくる。

必要なのは客観的に冷静に判断できる材料であり、軍事衝突を回避するために何が行われ、どのような可能性があるかが議論されるべきだろう。安全保障の専門家ではないので、本当に軍事衝突が起こるのかどうか分からないが、はっきりしているのは、漠然とした不安や敵意が吹き荒れる中、「勇ましい掛け声」を好む人たちによってトランプ政権や安倍政権の支持率が上向くことである。

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2017年04月15日

普天間の過去と今がみえる嘉数高台

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宜野湾市の南端に近い嘉数高台公園は住宅街の中にあり、公園として珍しい施設があるわけではないが、近年、修学旅行から政府関係の視察まで多くの人が訪れる。標高90メートルの高台に設けられた展望台からは、名護市辺野古への移設をめぐり、たびたび全国ニュースに取り上げられる米軍普天間基地が見渡せるからだ。新型輸送機オスプレイをはじめ、軍用ヘリ、空中給油機、大型輸送機など見慣れない航空機が離着陸を繰り返し、日米安保が今も着実に動いていることを実感できる。

この高台公園では、日本の安全保障の過去にも触れられる。太平洋戦争末期にあたる1945年4月、沖縄本島中部に上陸した米軍主力部隊と日本軍沖縄守備隊が初めて激突。嘉数高台は、首里に置かれた日本軍司令部の第一防衛線の中心となった。兵力や装備で圧倒的に不利な日本軍がとった戦略は持久戦だった。縦横にトンネルを張り巡らせ、地下にもぐって徹底抗戦を図った。本土決戦の準備を進めるため、米軍をなるべく消耗させ、本土進攻をおくらせることが狙いだった。

高台の中腹には今も地下壕への入り口がみられる。頂上付近には当時のトーチカが残るが、厚さ75センチもあるコンクリートの鉄筋がむき出しになるほど破壊され、米軍攻撃の激しさを物語る。日本軍は2週間余り、第一防衛線に踏みとどまったが、代償も大きかった。嘉数地区の700人近い住民の半数以上が亡くなった。兵士も急造爆雷を背負って米軍戦車への体当たり攻撃を仕掛けるなど消耗も激しく、本島中部の戦闘で日本軍守備隊10万人余りのうち6割が失われた。嘉数高台付近で戦った日本軍には京都出身者が多かったことから、頂上付近には慰霊碑「京都の塔」が建てられている。
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