2018年12月30日

食で見る沖縄の年末風景

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 人は食については結構、保守的にならざるを得ない。食べ慣れたものが一番である。好みはそう簡単に変えられない。そういう意味では、沖縄・那覇も昔ながらの年末風景がところどころに残っている。牧志公設市場周辺は、年始年末用の食材を求める地元客に観光客も加わり、普段以上に賑わっている。市場をさらに奥に進んだ太平通りあたりは何十年も前の那覇の雰囲気を残していて、このあたりを行き交うのは地元の人がほとんどだろう。

 特に多くのお客を集めているのが、天ぷら屋やカマボコ屋、沖縄そばの店。天ぷらやカマボコは重要な正月料理であり、沖縄そばは年越し用だが、どれも本土とは作り方や見た目が違う。天ぷらは衣が厚めで味付きであり、カマボコは揚げたものが多い。沖縄そばは「そば」と名がついているが、そば粉は使われておらず小麦粉が主な原料。正月用の食材として、里芋の仲間・田芋も八百屋などの店頭の目立つところに置かれている。豚の内臓でつくる中身汁も正月料理の一つであり、いつもより多めに並ぶ。

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2018年12月25日

日系新聞の廃刊と歴史を消す国

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 12月22日付でブラジルの日系新聞「サンパウロ新聞」が72年の歴史に幕を下ろした。今から20年ほど前に、サンパウロ新聞社に3年間勤めたことがあり、寂しさを感じずにはいられない。

 あの3年間は自分の人生の中でも特に思い出深い。人間が濃厚であり輪郭が非常にはっきりしている。喜ぶにせよ、悲しむにせよ、ストレートに表し、むき出しの欲望があたりに飛び交う。真意をいくつものオブラートに包み込み、礼儀としきたりと無表情で身を守ろうとする日本とは対極にある。

 そんなブラジル社会へ、戦前から戦後しばらくの時期まで25万人の日本人が移住し生活の礎を築こうともがき、日系社会を形づくってきた。さまざまな事情を抱え、その後もブラジルに留まった日本人移民だが、はるか遠い故郷・日本に溢れ出る思いを抑えきれず熱い視線を送り続けた。田中角栄首相や小泉純一郎首相ら冷酷な権力闘争を潜り抜けきたはずの政界の猛者ですら、ブラジルを訪問した際、日系人の熱い歓迎ぶりに思わず涙した。サンパウロ新聞などは、その日系社会の思いを映し出してきたメディアだった。

 一方、日本は経済大国と呼ばれるにつれて、大量の移民を送り出した事実を忘れ去っていった。国内に仕事がなく余剰人口を国外に押し出すという貧しい時代の記憶であり、しかも事前のまともな調査はせず十分な知識を与えないまま海外に送り出す「棄民」がたびたび見られ、日本人としては誇りに思えない歴史だった。さらに、バブル経済崩壊後は、中国や韓国をはじめアジア諸国の経済的な成長により、日本は経済大国の地位が崩れ自信を失う中、日本人の「誇り」を取り戻そうと否定的な歴史を消そうとするムードも強まっている。こうした今、サンパウロ新聞が廃刊の日を迎えたことは時代を象徴するような気がしてならない。
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2018年12月22日

本土から来た基地をなぜ返せない?

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 名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票について12月18日、宮古島市長が参加しない方針を明らかにした。反対表明は市長としては初めてだが、ほかにも県民投票への態度を保留している自治体があり、県民投票に反対する動きは広まりそうな気配がある。今年9月の県知事選で、辺野古新基地反対を掲げた玉城氏当選で県内の「民意」がまとまったかに見えたが、新基地を認める意見が目立つようになり「民意」分裂の印象を与えている。

 確かに、少数意見の尊重は民主主義の基本である。しかし、新基地建設に反対か賛成(承認)か、きちんと議論を交わせてきたのだろうか。先の県知事選でも、政府与党が推薦した対立候補は、当選すれば推進に向かうことは当然予想されたが、選挙戦では新基地建設にほとんど触れなかった。この候補に限らず、ここ数年の県内選挙では、新基地賛成派または承認派と目される候補(政府与党が後押し)は、新基地建設には触れず争点にしようとしない。議論は深められず、争点隠しといわれても仕方ないだろう。妥協点や融和策を探ることはできず、県内の分断を深めるばかりである。

 そもそも、正確な情報が明らかになってこそ、きちんと議論が交わせる。政府が新基地建設の論拠にしている「辺野古が唯一の解決策」は本当だろうか。もともと普天間基地の海兵隊は、本土に駐留していた。それが、本土の基地反対運動が激しくなり日米同盟に亀裂が入りかねないことから、当時は米軍支配下にあり司令官の一存で基地を設けられる沖縄へ1950年代半ば移転した。しかも、ベトナム戦争終結後、米軍は沖縄からの海兵隊撤退を検討するなど、米軍内外の関係者や専門家から沖縄駐留の重要性に疑問を投げかける声が出てきた。海兵隊の沖縄駐留にこだわるのは、いまだ冷戦期の思考から抜け切れない日本政府側という指摘もある(海兵隊の沖縄駐留に関する歴史や専門家の議論については、弊社発刊の『いかに「基地の島」はつくられたか』や『データで読む沖縄の基地負担』で詳しく説明している→詳細はこちらをクリックhttp://www.okinawatanken.ecnet.jp/)。
 
posted by テツロー at 16:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする