2019年01月28日

首里城の大奥で自由と権力を考える

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 首里城公園で1月28日から、御内原と呼ばれたエリアが復元され新たにオープンする。琉球王国時代、王族の私的空間であり、王族以外は男子禁制とされた区域。100人ほどの女官が働き、江戸城の大奥に相当するともいわれる。

 きらびやかに着飾った女性ばかりが行き交う空間と聞けば、興味が湧くところだが、国王本人はうれしかったのだろうかと思う。大勢の女性の中にぽつりと男が一人いても落ち着かないはず。打ち解けておしゃべりもできない。相手が国王ならば、女性側も形にはまったような話しかできないだろう。しかも、王妃をはじめ周りの女性は国王の好みで選べるわけではない。出身家の格式や王家の決まりごとも深くかかわる中、決められる。

 国王に仕えた女性たちはどう感じていたのか。国民の大半が貧しい農民だった時代、国王の居城で働けることは生活が保障され、栄誉なことだったのだろう。しかし、しきたりや慣例にガチガチに縛られ、個人の意志や自由などほとんど顧みられない。もちろん自由に恋愛できない。国王の世継ぎづくりの場をつくり、国王を一般社会から切り離し神秘的な存在に押し上げるため、男子禁制という特殊な世界がつくられる。かかわる人々すべての自由を奪い、誰をも幸福にしない権力組織だろう。

 一方、いったん考えることを止めさえすれば、しきたりと慣例に従って動けばいいのだから楽だったという面もあったのかもしれない。今の時代でも、安定するために自由を差し出す光景がみられる。自分のことを自分で決められず、進んで他者の言いなりになることを選ぶことさえありうる。いずれにせよ、現代の私たちにも権力と自由について考える機会を与えてくれる場であろう。
 
posted by テツロー at 10:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月19日

無責任時代の米軍基地と原発

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 1月17日夕方、戦闘機が相次いで那覇市内の上空を北に向けて飛んで行った。機体がはっきり見える高さである。方角から推測するに、宜野湾市の米軍普天間基地を目指していたのだろう。18日は午前中から昼にかけて2〜3時間、空中給油機とみられる黒っぽい大型機が断続的に那覇市上空に現れた。複数の大型機が円を描くように上空をぐるぐる回ることもあった。午後になると、機体の上に円盤状のものを搭載した、早期警戒管制機らしき大型機も姿を現わした。

 近年、沖縄の「基地負担軽減」と銘打って、空中給油機をはじめ軍用機訓練の県外移転が発表されてきた。しかし、現実には、県外からの外来機が毎年のように一時駐留を繰り返している。米軍は軍事予算を削減するため国内の基地を次々と閉鎖しており、そのしわ寄せで、日本政府の経費負担で運営される沖縄の基地を利用する機会が増えているという識者の指摘もある。いずれにせよ、ここ10年間を振り返って那覇市上空を飛ぶ軍用機が増えているという印象はぬぐえない。

 中国や北朝鮮との軍事的緊張関係に備え日米同盟を維持・強化するため、在日米軍は欠かせないという人は多い。だが、それほど大事と認めながら、在日米軍を自分のところで引き受けようとする動きはほとんどない。安全保障の利益を望むにもかかわらず、それに伴う不利益は被りたくない。まったく無責任と呼ぶしかないが、今の日本ではまかり通っている。

 原発についても米軍基地と同じ構図が浮かび上る。先日、財界団体のお偉いさんが、原発の再稼働や新設を推し進めるべきと記者会見で発言したが、この人が原発に対する不安を払拭したり核のゴミ問題を解決したりするために、身を挺して動いてきたのだろうか。すくなくとも報道される部分を見る限りでは、原発政策といえば、札束や権力というアメとムチを使って過疎地域に原発や核のゴミを押し付け黙らせてきたとしか思えない。
posted by テツロー at 10:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月12日

単純化される沖縄ニュース

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 米軍新基地建設に伴う辺野古沖の埋め立て工事が本格化し、全国ニュースでも時折、取り上げられているが、米軍基地という「迷惑施設」に反対する地元沖縄と、「普天間基地の撤去」や「安全保障」を理由に工事を進めたい政府の対立構図に単純化されている気がしてならない。

 確かに、メディアという仕組みを考えればやむを得ない面もある。限られた時間やスペースの中で、次々と新たに起こる事件や事故を取り上げ、世の中の動きをまとめなければならない。しかも、読者や視聴者は「より分かりやすく」「よりコンパクト」「より目新しい」を求めている。活字離れが進む一方、インターネットをはじめ新しいメディアが登場し、情報の流通速度が上がる中、一つの話題に長く付き合う忍耐力を持つ読者や視聴者は減っていく。ニュースの制作側は、話題の枝葉や根を切り落としコンパクトに単純化する方向へ流れる。

 しかし、30秒ニュースでまとめられる話題ばかりではない。例えば、辺野古の新基地建設問題は、沖縄が反発する根をたどっていけば、74年前の沖縄戦や47年前まで続いた米軍統治までさかのぼる。詳しくは、弊社発行の『いかに「基地の島」はつくられたか』や『沖縄の基地と性暴力』で説明しているが、沖縄の基地問題は本土がまいた種から芽生えた。

 沖縄に米軍基地を置く理由を、政府は「安全保障上の理由」と説明するものの、現在、沖縄駐留米軍の中心部隊である海兵隊はもともと本土に駐留していて、1950年代、本土各地で米軍基地反対運動が高まるのを受けて沖縄に移ってきたのである。当時、沖縄は米軍の直接統治下にあり住民に「ノー」の選択肢はなく、軍司令部の判断次第で受け入れが可能。海兵隊を「移しやすいところに移した」と言える。
(写真は、本土に駐留する米海兵隊が沖縄へ移転することを伝える毎日新聞夕刊1957年8月9日付)

posted by テツロー at 21:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする