2019年03月10日

絆時代の日本人を考える

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 ここ2,3年、就職活動中の学生をインタビューしたり若手社員の座談会を記録したりする仕事をしている。彼らから「理想」や「目標」としてよく聞かれるのが、「思いやりのある人」「尊敬される人」「頼られる人」だった。人間関係を重んじる「絆」時代らしい答えだと思った。同時に、自分が同世代だった頃の30年前とはずいぶん変わったと感じた。

 あの頃は、バブル時代末期であり、自分の力次第で何でもできるような気分になっていた。他人との関わりや気遣いなど「しがらみ」としか思えなかった。「個性」や「国際化」が声高に叫ばれ、就職活動用の履歴書で「尊敬する人物」欄に坂本竜馬を書くことが流行っていたのも時代を象徴していた。時代の雰囲気に踊らされたことは否定できないだろう。

 経済的な背景が変わったことは事実だが、重要なキーワードだった「個性」や「国際化」をはじめ、あの時代をほとんど検証しないまま新しい時代に突入してしまった。特定のテーマに対する関心はいったん火がつくと、爆発的に高まるが、しばらくすると急速に冷え込み、ほとんど見向きもされなくなる。日本人の中心には何があるのか。考えれば考えるほど分からなくなり、熱しやすく冷めやすい気性ではないかという疑念が湧いてくる。
posted by テツロー at 10:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月03日

変わらない新基地建設と日本政府

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 辺野古新基地建設をめぐる県民投票から1週間。投票日当日や7割以上が反対という結果が出た翌日は、全国メディアでも注目を浴びたが、その後は県内ニュースを除けば、新基地建設はほとんど取り上げられることはない。政府も建設推進の方針を変える気配もなく、今の時代に本当に「辺野古が唯一の解決策」か、本当に新基地が沖縄に必要か検証するメディアも見当たらない。日本ではいったん政府が決定すると、それを覆すことの難しさを改めて感じる。

 近年の政治ニュースでは、方針転換があれば「ブレた」「変節」として否定的な見方が広がる。果たしてそうだろうか。問題は変更したかどうかでなく、どう変更したかである。変更した結果がよければ「英断」である。

 ほんの1年余り前までは、徹底的にこきおろし、核戦争さえ仕掛けかねなかった北朝鮮のリーダーに対して、トランプ米大統領は対話をもちかけ個人的に称賛する。個々の手法や発言内容は批判を受けても仕方がないだろうが、対話に向けて舵を切ったトランプ大統領の判断そのものは正しい。日本政府は、いったん「これが正しい」と決めると、方針転換は批判や責任追及を恐れてなかなかできない。変化の激しい国際情勢の流れから取り残されかけている気がしてならない。

posted by テツロー at 21:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする