2024年01月28日

消えゆく沖縄ノラ猫?

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 ここのところは最低気温が15度を下回る、沖縄としては冷え込みの厳しい日々が続く。そのせいだろう、首里城の駐輪場に行くとバイクのサドルでノラらしき太った猫が寝ている。サドルは寒い日には格好の温まる場所らしいが、その寝姿はほのぼのとした雰囲気を醸し出す。

 そういえば、ここ10年ほどはノラ猫の数が徐々に減っているように思える。沖縄でも「ノラ猫にエサを与えないでください」の張り紙をよく目にするようになった。ノラ猫くらい多めに見てあげたらと思うが、迷惑を被る人や猫が嫌いな人はそういう訳にはいかないのだろう。猫好きの知り合いは「ノラ猫くらい生かしてあげたら」と愚痴っている。一時期は、ノラ猫をかわいがる観光客の姿をよくみかけたから、コロナ禍によって観光客の姿が途絶えたことも、ノラ猫が減っていることとかかわるのかもしれない。
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2024年01月21日

変化の激しい那覇市場界隈

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 那覇市のマチグヮー(市場)界隈では新旧店舗の入れ替わりが激しいように思う。長期のコロナ禍のせいか、昔からのお客さんが減ったせいか、沖縄の本土復帰頃から営業してきた喫茶店をはじめ、那覇の土地に根を張った店がここ数か月のうちに閉じている。国際通りに近い商店街はほとんどが観光客向けになった。

 一方、コロナ禍が収まって観光客が戻り、ビジネスチャンスがあると踏んだのか、新しい店が続々と開店している。似たような店が並ぶ激戦区のせいだろう、比較的新しいと思っていた店も、少し間を置いて前を通れば別の店になっている。まだ本格的にオープンしていないようだが、刃物の看板を掲げる店が現れた。東京・合羽橋通りの刃物店が外国人観光客に人気なのに触発されたのだろか。

 マチグヮー界隈では比較的大きな市場本通り(市場中央通り)と平和通りを比べると、食べ物屋が多い市場本通りに比べ、雑貨類や衣料品の店が目立つ平和通りの方が早く入れ替わる気がする。食べ物関連の店の方が、客層が変化しても安定した需要があるせいかもしれない。市場本通りでは、沖縄の昔ながらのお菓子店が何軒か生き残っている。
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2024年01月14日

岡本太郎と沖縄

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 正月に帰省した折、東京・青山の岡本太郎記念館に立ち寄った。平日の昼間だったが、途切れることなく入館者が訪れていた。没後30年近く経つが、表向きの気取りや保身に囚われない生き方が、「保守化」といわれる時代でもというか、「保守化」といわれる時代だからこそ惹かれる人が多いのかもしれない。記念館は太郎が生前、アトリエにした場所であり、エネルギーに満ちた作品が所狭しと庭や室内に溢れていた。

 太郎に注目するきっかけは彼の彫刻や絵画というより、『沖縄文化論 ―忘れられた日本―』を著すなど、沖縄に鋭い目線を投げかけ、著作を通じて近現代日本のあり方に疑問を投げかけてきたところだ。まだ遺伝学的に東北と沖縄の近さが指摘される以前から、日本本来の根っことして縄文文化に強い関心を寄せてきた。久高島の御嶽を訪れた後の『沖縄文化論』の次の一節は、彼ならではの指摘だと思う。

「何の手応えもなく御嶽を出て、私は村の方に帰る。何かじーんと身体にしみとおるものがあるのに、われながら、いぶかった。なんにもないということ、それが逆に厳粛な実体となって私をうちつづけるのだ。ここでもまた私は、なんにもないということに圧倒される。それは、静かで、幅のふとい歓喜であった。
あの潔癖、純粋さ。――神体もなければ偶像も、イコノグラフィーもない。そんな死臭をみじんも感じさせない清潔感。(中略)なんにもない故にこそ、逆に、最も厳粛にひきしまる。日本の古代も神の場所はやはりここのように、清潔に、なんにもなかったのではないか」
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