2024年10月26日
記憶にとどめたい日系二世の功績
10月30日は世界ウチナーンチュの日。沖縄にかかわる人々の世界的なネットワークの発展と継承を目指して制定されたが、戦前に移住した沖縄出身者やその子供である日系二世が、沖縄に対して多くの支援をした事実は長く記憶にとどめるべきだろう。
食糧難にあえぐ終戦直後の沖縄へ豚550頭を船で送る物語「海から豚がやってきた」はミュージカルになるなど知られるようになったが、こうした沖縄救済活動の中心人物の一人がアメリカ・ハワイの日系二世・比嘉トーマス太郎。下嶋哲朗氏がその生涯を『比嘉トーマス太郎』という一冊にまとめ最近出版している。私は、戦前生まれの日系ブラジル人二世について書いたことがあるが(『国会議員になった「隠れキリシタン」』を参照)、ブラジルとアメリカの違いがあるものの、少なくとも3つ共通点を挙げらる。
1点目は、戦前の日本人移民(一世)は金を稼いだら帰国するつもりだったので、子供たち(二世)を日本人として育てようとするが、二世たちは育った国の影響も受けどこにアイデンティティを求めるべきか悩む。心ない一世は二世を「できそこないの日本人」とも呼んだ。2点目は、戦前の日本を二世たちが訪れるが、アメリカにしろブラジルにしろ敵対国家扱いだったため、二世たちも「敵性外国人」扱いを受ける。3点目は、そのような扱いにもかかわらず、帰国後は敗戦後の日本と母国の友好関係に尽力する。
特に3点目は強調したい。敗戦後の日本が立ち直ったのは日本人自身の努力が大きいが、海外在住の日本人移民や日系二世たちも決して豊かでないにもかかわらず日本救済活動に力を惜しまなかった。その気持ちが忘れられがちになるのはなんとも寂しいものである。
2024年10月20日
10月に那覇で1万人エイサー踊り隊
那覇市の目抜き通りである国際通りで各地の団体がエイサー演舞を繰り広げる「1万人エイサー踊り隊」が10月20日午後、開催された。これまで開催は8月第1週だったが、暑さ対策として今年はこの時期に変更したらしい。また、エイサーの演舞場は国際通りの随所にあり、参加団体は北側から通りに入りそのすべてで踊って南側から抜けていたと記憶するが、今年は演舞場が4か所しかなく、しかも各団体が演舞を披露する回数も限られ、演舞と演舞の間に十分休憩をとれるようだ。ただ、最近は沖縄が熱帯化しているのか天気予報や雨雲レーダー予測にひっかからないスコールのような雨が降ることが多く、この日も会場は午後5時半過ぎから激しい雨に見舞われた。
2024年10月13日
沖縄の祭りと外国人
今日(10月13日)、国道55号に設けられた那覇大綱挽の会場に足を運んでみた。一時はコロナ禍でイベントが軒並み中止になった時期がまるで嘘のように、大綱の周りは人で賑わっていたが、観客や綱引きに参加する人々の半分かそれ以上が外国人とみられた。
これは今年に限らず、コロナ禍以前から続く傾向である。綱引きはどの国の人にも分かりやすい。日本人以上に積極的に振る舞い感情表現が豊かな外国人が多いようだ。少なくとも那覇大綱挽は外国人抜きには現在の盛り上がりは保てないだろう。
那覇市以外でも沖縄各地の祭りに時折出かけているが、外国人がこれほど目立つことはないにしても、地元以外の人も気軽に受け入れる地域が多いように思える。沖縄の気風であり、外部に向って開かれているのかもしれない。
外国人観光客の増加がニュースで頻繁に取り上げられているが、「マナーが悪い」「オーバーツーリズム」など否定的な受け止め方が目につく。外国人観光客の訪日によって経済的に潤うだけでなく、地元の人と外国の人が交流する機会が増えることにもなる。地元のマナーや仕来りの周知に努め、こうした機会を生かす方向で地域が協力できないものだろうか。