2018年10月21日

路地裏に横たわる沖縄の墓

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 本土並みが多くなっている沖縄だが、本土並みへの進み具合はモノによりきりである。最も進行が遅いのは墓ではないかと思う。人生をどのように終え、家族をどのように葬るか、人生の重い判断である。本土並みが溢れる中でも、なかなか変わらないのは当然だろう。

 本土では飾り気のない石柱を積み重ねた墓が主流だが、沖縄は、亀の甲羅を思わせる亀甲墓や、三角屋根が乗る破風墓のほか、崖を掘り抜き前面を石垣で固めた掘り込み墓など、いずれも人の住居を思わせる大きさがある。近年は核家族化が進み、大型の墓を維持するのが大変になったせいもあり、だいぶ小型化しているが、それでも家形(いえがた)の基本を崩していない。

 もともと、亀甲墓や破風墓は士族のみに認められた墓であり、一族の権力や富を誇る目的があったのだろうが、現世と同じようにあの世でも安息の住居を持てるようにという思いも込められたらしい。琉球王国で最初の破風墓であり王家の墓である「玉陵(たまうどぅん)」は、同時の首里城を模したといわれる。報道によれば、玉陵は近く、県内の建造物としては初めて国宝に指定されるそうだ。

 沖縄の墓が大型化したのは、死者の葬り方とも関係しているらしい。沖縄で長年続いた「洗骨葬」では、まず遺体を棺のまま墓の中に安置し、数年経った頃、取りだして骨を洗い清め壷に納める。このため、棺がまるまる入るスペースが必要であり、火葬とは異なり故人の骨をすべて納める大きな骨壺が並ぶことから、内部に広い空間を持つ墓になったという説を聞く。ちなみに洗骨葬は戦後しばらくも続き、火葬が県内で一般的になるのは1960年以降。現在も洗骨葬が残る島もあるという。

 墓のある場所も、県外との違いが目につく。県外では墓はたいていお寺の境内にまとまって建てられるが、沖縄では仏教が庶民にあまり広まらなかったせいもあり、街中にも点々と存在している。「死」は忌み嫌うものではなく、生活風景の一部であり、「生」の意味を浮き立たせ同時に輝かせる存在なのかもしれない。

 ただ、継ぐ家系が途絶えたり、面倒をみられる人が近くにいなくなったりして放置される墓が増えるという全国的な流れは、沖縄にもひとひたと押し寄せる。草や蔓に埋もれ人の目から消えかかる墓も少なくない。少しずつ沖縄でも私たちの視界から「死」は遠ざかっていくのかもしれない。
posted by テツロー at 22:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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