2024年11月30日
首里城地下の司令部壕をどう見せるか
写真は、沖縄戦で日本軍が那覇市の首里城地下に建設した司令部壕の模型だ。司令部壕は5つの坑道からなり複雑に入り組んで長さは全部で1キロにも及ぶが、11月29日に沖縄戦跡としては初めて県史跡に指定された。これは日本全体で戦争に関する記憶を消し去ろうとする空気感に少しでも抗う意味があると思うが、指定だけでは効果は薄いだろう。
まず、一般の人が安全に見学できるように整備が必要だが、戦後長く放置されていたため崩壊が進んでいるようだ。戦跡の価値が長期にわたって認められなかった証しともいえよう。また、整備されれば首里城に多く観光客が訪れるだけに関心を集めるだろうが、ただ見学するだけでは広大な地下壕が何を意味するか理解されにくい。
沖縄戦で日本軍が地下に籠ることによって、打ち負かすことはできないにしても米軍を沖縄に長くとどめ本土決戦準備の時間稼ぎを狙える。司令部壕はこの「沖縄捨て石」作戦の象徴ともいえる。古都・首里の地下に築くことによって琉球王国時代の貴重な文化財が失われ、軍の秘密を守るためとスパイの疑いで民間人惨殺も目撃されている。こうした事実の解説をする展示やガイドの育成も課題だろう。ちなみに首里城地下に司令部が建設された意義や影響は保坂廣志氏の『首里城と沖縄戦』が詳しく説明している。
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