2019年11月10日

西成と山谷

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 東京に出ると、たいてい山谷のあたりに宿をとるが、11月9日、大阪に行った機会に、西成を訪れてみた。山谷も西成もかつては労働者の町と呼ばれた。だが、山谷はかつての労働者向けの宿は、旅行者向けの安宿に変わり、外国人旅行者が目につく。独特の雰囲気を醸し出す男たちが、街角にたむろしていたり、朝から店を開ける居酒屋の中で酒をあおったりする姿をぽつりぽつりと見かけるが、町全体の空気感を変えるエネルギーは感じられない。

 一方、西成では中高年の男たちが、まだまだ存在を自己主張している。数が多いだけでなく、自転車に乗る姿もよく見かけた。結構なスピードを出す。急いでいるというよりは存在感を出すためのように思える。大阪の持つエネルギーの大きさのおかげもあるだろうが、若い女性の存在も小さくないはずだ。昼間から開いているカラオケ店には、若い女性がカウンター超しに立ち、その前には、ニヤニヤ顔の中高年のおじさんたちが座る。

 カラオケ店が並ぶアーケード街に隣接して、色町「飛田新地」が広がる。各店はかなりあけっぴろげなアピールをする。店の入り口を全開にして、撮影スタジオのように白っぽい内装を背景に、水着のように肌の露出の多い恰好やお姫さまのように着飾った格好から、あえてTシャツ、ジーパンなど普段着のような恰好まで、思い思いにコスプレをした女性が座り、隣には客との交渉役らしき高齢のおばさんが腰をおろす。店の前を通れば、彼女たちの姿が目の中に飛び込む。こうした店が軒を連ね、興味本位でひやかすのか、本気で店に入るつもりがあるのか、若い男たちのグループが結構、新地の通りを行き交う。中には若い女性の2人組もいた。
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2019年11月03日

首里城復元の資材はどこから?

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 10月31日未明に那覇市の首里城が炎上・消失したことは、観光ガイドとして城内を何十回となく回っていただけに今も実感がわかない。首里城は木造建築であり、燃えやすいのは分かっていたから、科学技術の発達した現代においては、火災が燃え広がらないように何重にも予防策が張り巡らされているものと信じていた。

 しかし、それは単なる過信にすぎなかった。正殿全体が火に包まれ崩れ落ちる映像を目にし、しかもその後も何時間たっても消火しきれない事実をつきつけられ、どう受け止めていいか戸惑うばかりである。火災という猛威の前では、人間のできることは少ないのか、それとも、火災への備えが足りなかっただけなのか、出火原因など詳しいことが分からない今は何とも言い難い。

 玉城知事はすぐに首里城を復元させると表明した。確かに、消失した首里城は戦後、復元されたものでありデータが残っているのだろうが、一番の問題は木材などの調達ではないか。戦後、首里城を復元するにあたっては、柱に多くの巨木が必要だったが、国内では手に入らず、台湾から輸入した。聞くところによれば、首里城の柱に使えるような巨木は現在では、台湾から手に入れることは難しいという。
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2019年10月26日

戦争と平和の間

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 新天皇の「即位礼正殿の儀」に参列するため、韓国の李洛淵首相が来日した10月24日、韓国紙の日本語版で気になる記事を二つ目にした。一つは、韓国の公立高校の生徒たちが教師から反日スローガンが強要されたという内容。もう一つは、在日韓国人が訪日中の李首相に「息を殺して暮らしている」と語った記事である。

 政治家と政治家は利害が絡み、いつも仲良くとはいかないが、国民と国民は本来、政治家の対立とは関係ない。憎しみをぶつけ合っても、互いに損をするだけで何ら得はない。にもかかわらず、現在の日本と韓国はなぜ国民レベルでもいがみ合うのか。もっとも手っ取り早いストレスのはけ口になるからだろう。日々の暮らしの不満ややるせなさは、何が原因なのか正確に突き詰めることは簡単ではない。

 しかし、異国人のせいにすると何となく収まりがいい。国籍による区別は明確で分かりやすい。責任を国の外へかぶせれば、同じ国民どうしまとまりやすい。だから、世界的にも、国内経済がうまくいかないと、移民排斥へ世論が傾きがち。外に敵をつくると、国内政治家は支持率が上がり都合がいい。日本と韓国も、この「外敵セオリー」にはまりかけている。

 新天皇が10月22日、即位の礼で述べた「お言葉」で、「平和」が繰り返し使われたことがメディアで話題になった。確かに、今の日本は戦争ではないが、果たして平和なのか。どの国の国籍を持つというだけで、憎しみを抱く状況が平和なのか。こうした国と国の憎しみの制御がきかなくなった時、戦争が始まる。憎しみが蓄積されつつある現在、もう一度、平和の意味を問う必要があろう。
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