2018年05月20日

浮島時代の那覇を思い浮かべ

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ここ10年という期間だけでも、那覇市内で風景がどんどん変わっていく。数カ月も経てば以前の風景を思い出すことがなくなる。新しく生まれた風景を、何の感慨も持たずに日常として受け入れる。風景が変わることに感覚が麻痺しているのかもしれない。以前見たことのある風景でさえ、こんな状態だから、100年、200年昔の見たことのない風景に思いを馳せることなどほとんどない。

そんな中、琉球王国時代に広がっていた風景を想像できる場所が、都市モノレールの美栄橋駅近くにある。久茂地川沿いの道と平行して走る道であり、崇元寺の前あたりで枝分かれして、美栄橋駅近くで再び川沿いの道と合流する。那覇がまだ沖合に浮かぶ島「浮島」であり、あたり一帯が海だった時代、浮島と本島を結んでいた海中道路「長虹堤(ちょうこうてい)」の跡である。明治以降は埋め立てによって陸地化したが、周りの土地に比べ少し高く段差があるところに、何かしら歴史の変遷のようなものを感じる。美栄橋近くの広場には、長虹堤の歴史などを記した説明板が設けられている。

海と陸地が共存していた時代が思い浮かぶ。逆に、現代の暮らしがいかに海を遠ざけ、目を向けなくなっているかが分かる。街がどのように変わってきたのか。そこを知らずには、街がどのように変わっていくべきか語れないだろう。
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2018年05月12日

月桃の季節と共同井戸

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沖縄では、月桃が小さなピンク色の花をつける季節であり、同時に梅雨の季節でもある。梅雨といえば、子どもの頃は鬱陶しさのイメージがまとわりついていた。しかし、日本以外に目を向けるようになると、日本が雨に恵まれているおかげで、緑豊かで多様性に富んだ自然が育まれることにだんだん気づく。何より、沖縄の各地で水への祈りの場に触れると、「鬱陶しい」とは言っていられない気分になる。

 沖縄の各地にはかつて地域の共同井戸があった。大きな川や湖のない沖縄では、貴重な水源になっていた。水道が普及した現在では、ほとんど使われていないが、埋めたりつぶしたりせず、祠をたてて今も信仰の対象になっているものが多い。簡素ながらも掃き清められて祠には、水不足に悩まされ続けてきた沖縄の人々の祈りの深さを感じる。
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2018年05月05日

過去と向き合わない日本政府

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遠く離れた世界各地に住む日本人を有名人・芸能人が訪ねるという番組を見るうちに、もしや自分が取材で行ったことのある場所ではないかと思った。アルゼンチン、アンデス山脈のふもとにある日本人移住地はいくつもあるはずがない。アンデス山脈がくっきりと浮かびあがる、澄んだ青い空が印象的だった。スクラップブックで古い記事を探し読んでみると、20年以上前に話をおうかがいした方と名前が一致した(写真は、当時移住地内で撮ったもの)。

 番組は、お子さん家族が集まった食事会の模様が映し出され、「苦労はあったけれど幸せな人生」というまとめ方だった。不自由なことだらけの異国の地で長年、自然と格闘してきた人生は心打つものがあり、確かに一面の真実かもしれないが、釈然としない気持ちも残る。

この方のように、1950年代から1960年代にかけての農業移住は政府系機関が深くかかわっているからだ。南米に移住すればバラ色の未来が開けるなどと、さんざん煽っていた。もちろん、海外に移り住むにはリスクが伴い、1から10まで完璧に整っている場所はない。しかし、南米各地の日本人移住地を回って話を聞くと、「なぜ、わざわざこんな土地?」と思うようなところが少なくなかった。生活の根幹となる土地が農業に適していないのである。テレビ番組で取り上げていた移住地も、雹による被害や塩害に悩まされていた。

今回に限らず、大切な自国民を送り出すのに、事前に調べなかったのか。問題のある農地と知っていて自国民を送り出したのか。疑問はいつもつきまとう。太平洋戦争にはじまって、戦後の移住政策、そして最近の公文書改ざんまで、過去と向き合わず自らの過ちを認めようとしない日本政府の姿勢が貫かれている気がしてならない。
posted by テツロー at 13:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする