2020年05月30日

沖縄県議選と耐えられない責任の軽さ

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 沖縄県議選が5月29日に告示された。県政与党と野党の明確な違いは、辺野古新基地の建設に反対するか、容認するか。もともと野党側は新基地建設の争点化を避けてきた上、新型コロナの感染拡大の影響で、表立った政治活動が控えられたせいもあり、「県経済の立て直し」だけで選挙戦を押し通してしまうように見える。選挙結果はどうであろうと、誰がどのような理由で選ぶか明らかにされることなく、新基地建設が進められるのだろう。

 理由やその裏付けとなるデータをはっきりさせれば、ボロが出かねないではないだろうか。実際、秋田市内におけるイージスアショアの候補地選定では、前提となるデータの誤りがメディアで指摘され、防衛省はあえなく撤回に追い込まれた。これまでも、新基地の辺野古建設に対して数々の疑念が専門家から投げかけられてきたが、沖縄ならば無理があっても押し切れるという確信があるのかもしれない。

 もともと、米軍基地の問題では、米軍という日本の主権が及ばない組織を前面に出すことによって、日本政府は責任から逃れてきた。軟弱地盤が確認され、総工費が1兆円を超える見通しが出る中でも、沖縄以外で責任を問う声は小さい。新型コロナという大きな厄災が日本全体を覆うことによって責任感覚がマヒしているのかもしれない。誰が広めたのか分からない上、「自粛要請」「休業要請」など誰の責任のもと進めるのか分からない対策が繰り広げられ、なぜPCR検査がうまくいかないか、首相をはじめ誰もはっきりしたことは言えない。コロナ問題のどさくに浮上した検察官の定年延長問題でも、責任の軽さが露呈したことは言うまでもない。
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2020年05月24日

輪郭がぼやける敵と人間

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 近年は10年おきくらいに日本や世界を大きく揺るがす事件が起きている。2001年にアメリカの同時多発テロ、2011年に福島原発事故、そして2020年に新型コロナウイルスの感染である。多くの人命が失われたり膨大な経済的損失が生まれたりしたにもかかわらず、なぜ起きたのか分からないことが多い。

 前の二つの事件は、それぞれテロ組織と不十分な安全管理が主犯格とされるが、当事者が認めたわけでも、動かぬ証拠が出てきたわけでもなく多分に曖昧さが残る。今回のコロナ感染の原因はさらに見えにくい。直接的なウイルスの発生源についてアメリカと中国が非難の応酬を繰り返し、決着するはずもない。世界中で開発が進み人間が未知のウイルスと遭遇する確率が上がったとか、交通手段の発達や人口の都市集中によって感染スピードが格段に上がったとか、そのあたりに責任を押し付けるしかないだろう。

 加えて、3つの事件に共通するのは、今後いつでも同じことが起きる可能性があることだ。「敵」や原因といったものはますます輪郭がぼやけるため、誰か特定の人物に不満をぶつけることはできない。個人で予測することなどできず、いつも一抹の不安を抱える。できることといったら、政府や専門家の助言に注意深く耳を傾けながら、なるべく他人との接触を減らし人込みを避けることぐらいだろう。物心ついたときから、ラインなどネット上でのコミュニケーションが当たり前の世代は適応できるのだろうが、直接相手と会って話すことを第一に考えてきた昭和世代はますますフラストレーションをためるかもしれない。
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2020年05月17日

コロナで霞んだ復帰の日

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 5月15日、沖縄は48回目にあたる本土復帰の日を迎えた。新型コロナ感染問題にかき消され、地元の沖縄でもニュースの扱いは小さかった。さらに県外となると軽く触れるかどうか。もともと、県外ではあまり「復帰の日」が注目されることは少ない。コロナ感染が収束したとして、こうした傾向は一段と加速するのだろう。

 社会の関心は東京で起きたことに集中しがち。しかも高校までの学校教育では受験勉強に夢中になり、学校でも戦後史にあまり時間を割かない。埼玉県で生まれ育った私の場合、記憶をたどっても1972年の本土復帰はもちろん、その後も大学生になるくらいまで、沖縄県が他県に比べ20年長く米軍統治下に置かれたことや、復帰後も在日米軍基地の大半が集中することも知らなかった。
posted by テツロー at 10:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする