2018年12月22日

本土から来た基地をなぜ返せない?

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 名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票について12月18日、宮古島市長が参加しない方針を明らかにした。反対表明は市長としては初めてだが、ほかにも県民投票への態度を保留している自治体があり、県民投票に反対する動きは広まりそうな気配がある。今年9月の県知事選で、辺野古新基地反対を掲げた玉城氏当選で県内の「民意」がまとまったかに見えたが、新基地を認める意見が目立つようになり「民意」分裂の印象を与えている。

 確かに、少数意見の尊重は民主主義の基本である。しかし、新基地建設に反対か賛成(承認)か、きちんと議論を交わせてきたのだろうか。先の県知事選でも、政府与党が推薦した対立候補は、当選すれば推進に向かうことは当然予想されたが、選挙戦では新基地建設にほとんど触れなかった。この候補に限らず、ここ数年の県内選挙では、新基地賛成派または承認派と目される候補(政府与党が後押し)は、新基地建設には触れず争点にしようとしない。議論は深められず、争点隠しといわれても仕方ないだろう。妥協点や融和策を探ることはできず、県内の分断を深めるばかりである。

 そもそも、正確な情報が明らかになってこそ、きちんと議論が交わせる。政府が新基地建設の論拠にしている「辺野古が唯一の解決策」は本当だろうか。もともと普天間基地の海兵隊は、本土に駐留していた。それが、本土の基地反対運動が激しくなり日米同盟に亀裂が入りかねないことから、当時は米軍支配下にあり司令官の一存で基地を設けられる沖縄へ1950年代半ば移転した。しかも、ベトナム戦争終結後、米軍は沖縄からの海兵隊撤退を検討するなど、米軍内外の関係者や専門家から沖縄駐留の重要性に疑問を投げかける声が出てきた。海兵隊の沖縄駐留にこだわるのは、いまだ冷戦期の思考から抜け切れない日本政府側という指摘もある(海兵隊の沖縄駐留に関する歴史や専門家の議論については、弊社発刊の『いかに「基地の島」はつくられたか』や『データで読む沖縄の基地負担』で詳しく説明している→詳細はこちらをクリックhttp://www.okinawatanken.ecnet.jp/)。
 
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2018年12月03日

米軍基地と沖縄移民

移住当初の民家.jpg

 「人手不足が喫緊の課題。一日も早く改正案を成立させる必要がある」。外国人労働者の受け入れを拡大する入管難民法の改正案を、「生煮え」「中身がない」などと批判を浴びながらも、政府与党が改正案の成立・施行に向けて突き進む光景を見ていると、30年前のバブル期を思い出した。
あの頃も、声高に人手不足が叫ばれていて、南米などから日系人を労働者として取り込む動きが日本各地で起きた。新聞社で働いていた当時は、日系人労働者の問題を取材していたが、日系人側からよく聞かれた声は、「自分たちはモノ扱いされている」だった。実際、景気が悪くなると、クビになり帰国迫られたという話も聞いた。

 さらに30年から40年、戦後日本を遡ると、逆に移民を送り出していた歴史に突き当たる。特に沖縄では、戦争による壊滅的な打撃に加え、もともと狭い島の平野部に巨大な米軍基地が建設されたおかげで、土地を奪われた住民は海外移住にしか希望を見いだせなかった時期もあった。しかも、これは沖縄移民にかぎらず日本移民全体的にいえるが、行政が移住先についてろくに調べないまま送り出し、その後も十分な支援をしなかった(写真は、ボリビアに入植した当時につくられた沖縄移民の家。1994年、入植40周年の記念式典のとき、再現された)。

 外国人労働者の受け入れ拡大をめぐる現在の議論は、こうした戦後60年から70年におよぶ歴史を踏まえているようには思えない。国の産業政策や景気対策からみて、労働者を必要なら国外に送り出し、必要なら外国から受け入れる。生身の人間が、言語や生活習慣が異なる見知らぬ土地で暮らすための配慮や思いやりは見当たらない。これは外国人労働者に限らず、行政が根本原因の「少子高齢化」を語るとき、日本で働く労働者たちがどうすれば幸せになれるか、の視点は感じられない。
 

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2018年11月24日

ネコブームと大阪万博

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 昨日(11月23日)、首里の路地裏を歩いていたら、2匹のネコと出会った。体の模様が似ていて、互いの距離が非常に近いところから親子やきょうだいなのかもしれない。こちらへの警戒心をもちながらも、ゆったりと2匹のペースで過ごす。典型的な飼いネコではないが、人間とはつかず離れずの関係を保つ。近年はネコブームといわれるが、身の丈に合った成熟社会に向かおうとする空気が投影されているのかもしれない。

 もちろん、誰しもネコが好きなわけではなく、ネコに自分の理想像を重ね合わせるわけではない。分かっていたつもりだが、いまだにでっかい打ち上げ花火をあげて、大量の資金を投入して大型イベントを開きたがる人がいまだに結構、日本にいることを改めて思い知った。今朝(11月24日)の、2025年の大阪万博決定のニュースである。

 報道によれば、建設費は1250億円であり、国、大阪府・市、経済界が3等分で負担する。2800万人の入場者を見込み、人件費など事業運営費820億円のうち9割を入場料収入で賄う計画。万博開催による経済効果は1.9兆円と試算しているという。2020年の東京五輪の例で分かるように、たいてい大型事業の経費は膨らんでしまう。入場者数だってどれだけの根拠があるのだろう。1970年の大阪万博のように、経済が上り調子でありながら大型イベントが少ない時代ならともかく、低成長期に入る一方、さまざまなイベントが各地で繰り広げる現代日本において、万博がどれだけ人を引きつけるか疑問符がつく。

 こうした空気は世界的だろう。今回の2025年万博に立候補したのも、日本以外では、ウクライナ問題などで国際的に複雑な立場にあるロシアと、オイルマネーが豊富なアゼルバイジャンだけ。どこかキナ臭さを感じる。フランス・パリも立候補したが、途中で辞退した。

 2025年の大阪万博は決まったから、やるしかないのだろうが、大幅の赤字を出し負の遺産にならないことを期待したい。その意味ではマスコミをはじめ良識ある人々の監視が大きな役割を果たすだろう。ただ、最近のマスコミは、新幹線の開通報道に象徴されるように、イベント主催者と一緒にはしゃいで、本当に後世の負担にならないか事後検証があまり見られないのが気になる。
posted by テツロー at 17:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする