2018年10月30日

メリハリのきいた獅子の動き

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 10月28日夕方から、うるま市の安慶名闘牛場で「第33回全島獅子舞フェスティバル」を見た。玉城(南城市)、宮平(南風原町)、勝連南風原(うるま市)、天願(同)、田場(同)という5地域の獅子舞と勝連南風原のウスデーク(うるま市)が披露された。全島獅子舞フェスに来るのは久しぶりだが、獅子舞の魅力は「静」と「動」、威厳あふれる王と激しい野獣の動きが混在し、メリハリがきいているところと改めて思った。

 寝そべって、ゆっくりと腹や背中を波打たせるシーンから始まる獅子舞もある。徐々に動きを速め、頭や体を大きくひねったり、雄叫びをあげるかのごとくのけぞったりする。体を低く構えスフィンクスのように腹を地面につけて頭をあげ、顔をゆっくり動かして辺りをうかがうかと思えば、寝返りをうつように体を左右に回転させる。クライマックスが近くなると、時にはすくっと2本足で立ち上がる。2人1組で演技しているから、獅子の中では1人がもう1人を肩車するのだろうが、そうした作業を感じさせない、滑らかな動きである。

 沖縄の獅子舞で特徴的なのは、獅子を刺激する役目の演者がいることだろう。男性または男の子が、毬(まり)のついた紐を振り獅子を興奮させることが多いが、この日上演した宮平の獅子舞は初めて目にするパターンだった。獅子の登場前に露払い的な意味を込めて棒術の演舞が行われることは珍しくないが、宮平の獅子舞では、棒術の使い手と獅子が組み合って格闘する。この後、さらに毬つきの紐を持った2人の少女が獅子の前で踊る。これも初めて見たパターンである。獅子が想像上の象徴的な存在であるというより、直接対峙しかかわかのような生々しい存在であることを思わせる演目だった。
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2018年10月21日

路地裏に横たわる沖縄の墓

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 本土並みが多くなっている沖縄だが、本土並みへの進み具合はモノによりきりである。最も進行が遅いのは墓ではないかと思う。人生をどのように終え、家族をどのように葬るか、人生の重い判断である。本土並みが溢れる中でも、なかなか変わらないのは当然だろう。

 本土では飾り気のない石柱を積み重ねた墓が主流だが、沖縄は、亀の甲羅を思わせる亀甲墓や、三角屋根が乗る破風墓のほか、崖を掘り抜き前面を石垣で固めた掘り込み墓など、いずれも人の住居を思わせる大きさがある。近年は核家族化が進み、大型の墓を維持するのが大変になったせいもあり、だいぶ小型化しているが、それでも家形(いえがた)の基本を崩していない。

 もともと、亀甲墓や破風墓は士族のみに認められた墓であり、一族の権力や富を誇る目的があったのだろうが、現世と同じようにあの世でも安息の住居を持てるようにという思いも込められたらしい。琉球王国で最初の破風墓であり王家の墓である「玉陵(たまうどぅん)」は、同時の首里城を模したといわれる。報道によれば、玉陵は近く、県内の建造物としては初めて国宝に指定されるそうだ。

 沖縄の墓が大型化したのは、死者の葬り方とも関係しているらしい。沖縄で長年続いた「洗骨葬」では、まず遺体を棺のまま墓の中に安置し、数年経った頃、取りだして骨を洗い清め壷に納める。このため、棺がまるまる入るスペースが必要であり、火葬とは異なり故人の骨をすべて納める大きな骨壺が並ぶことから、内部に広い空間を持つ墓になったという説を聞く。ちなみに洗骨葬は戦後しばらくも続き、火葬が県内で一般的になるのは1960年以降。現在も洗骨葬が残る島もあるという。

 墓のある場所も、県外との違いが目につく。県外では墓はたいていお寺の境内にまとまって建てられるが、沖縄では仏教が庶民にあまり広まらなかったせいもあり、街中にも点々と存在している。「死」は忌み嫌うものではなく、生活風景の一部であり、「生」の意味を浮き立たせ同時に輝かせる存在なのかもしれない。

 ただ、継ぐ家系が途絶えたり、面倒をみられる人が近くにいなくなったりして放置される墓が増えるという全国的な流れは、沖縄にもひとひたと押し寄せる。草や蔓に埋もれ人の目から消えかかる墓も少なくない。少しずつ沖縄でも私たちの視界から「死」は遠ざかっていくのかもしれない。
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2018年10月15日

破壊と再生を考える崇元寺

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 久しぶりに崇元寺を歩くと、境内が明るくなったと思った。見上げると、頭上を覆っていた枝葉が大分なくなっていた。結構太い幹が途中から何本も折れている。折れた枝葉は、境内の隅に山のように積まれている。9月下旬から10月上旬にかけて相次いで沖縄に接近した台風のせいだろう。

 破壊と再生を繰り返す。崇元寺の境内に入ってこの言葉が鮮明に浮かんだ。なんとなく自然の法則として耳にしていた言葉だが、「こういうことなんだ」と思ったのである。長年、境内の上空を覆っていた大木からすれば、台風の強風による被害は痛ましいことだが、枝が折れて明るくなることによって、まだ小さい若い木が日光を浴び伸びるチャンスが生まれてくる。ただ、自然界の変化は何の視点に立つかによって違ってくるが、自分が人間である以上、人間の視点から離れにくいのは仕方がないことだろう。
posted by テツロー at 14:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする