2024年08月21日

那覇は旧盆終えて暑さやわらぐ?

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 沖縄にとって最大の年中行事の1つ旧盆は今年、コロナ禍が落ち着きエイサーなどの行事が復活した。写真は8月17日、安里青年会が近所で道ジュネーを披露したときのもの。広場に近所の人たちが集まり演舞を楽しむことができた。翌日ウンケーを迎えて旧盆は終わったが、その後はちょっと暑さが和らいだ気がする。風を涼しく感じるようになった。ようやく酷暑が峠を越えたのだろうか。
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2024年08月14日

まだまだ知らない沖縄戦の惨状

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 明日(8月15日)で終戦から79年になるが、沖縄戦だけをとってもまだまだ知らない事実があることを痛感させられる。例えば、南風原町で地獄絵図が繰り広げられたことは最近、『南風原町史』で気づかされた。次のような証言が掲載されている。

「本部を後にして山川にさしかかったときに、山川の人がいたので、『小さい子どもを連れていくのは大変なので、ここに一晩泊めてください』と頼んだら、『ここの壕はいっぱいだから入ることはできない。早くあっちに逃げろ。敵にみつかったら俺たちもやられる』と言って追い返されました。私はこの言葉にとてもショックを受けました。いまだにこの言葉を忘れることができません。それから、どこに逃げていいのか、どうしたらいいのか分からずにそこをウロウロしていました。山川(宇平)橋のところもたくさんの人が死んでいました。橋も壊されていたので死んだ人間を積んで、みんなは橋のように渡っていました」

 「死の橋と言われた山川(宇平)橋の周辺から約1キロ半は、後から通る人が死体を道路の端にどけるので、死体が土手のように道端に積み重なった状態が続いていた。陸軍病院壕からの撤退が始まったらしく、たくさんの傷病兵が南へ向かっていた。手や足を切断された人までが地面を這っていた。それは地獄絵図のようだった」

 南風原町は沖縄本島南部の中央に位置し、沖縄戦が始まる前から日本軍における後方支援の重要拠点であり、本島中部や那覇市から南部へ避難する際の主要経路だった。このため、米軍は住民や兵士が集中する交差点や橋に照準を定め砲撃や爆撃を重ねたとみられる。写真は「死の橋」と言われた現在の宇平橋。通称山川橋とも呼ばれる。

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2024年08月09日

もしトラと沖縄

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 軍事でも経済でも世界最強の国・アメリカで、トランプ氏が大統領に返り咲けば世界が混乱する。そんな前提でメディアは「もしトラ(もしトランプ氏が大統領選に勝利したら)」なる言葉を爆発物かのように恐れて使う。しかし、専門家のち密な分析を待つことなく、トランプ氏の発言はアメリカ人の本音。特に安全保障面では、他の人物が大統領になっても本音の部分は変わらないはずだ。「アメリカ軍に守って欲しければカネを出せ。出さないと守らないぞ」。ウクライナの例を見ても分かるように、カネを出してもアメリカ軍は守らないだろう(武器支援はしても)。

 単純に考えても分かることだ。自国の軍隊や領土で被害を出る危険を侵してまで他国を守る行動に出るだろうか。これまでにも、在日アメリカ軍は日本を守るために駐留しているのではないと、アメリカ政府関係者は公式に認めている。今の日本では、基地や資金を提供すればアメリカ軍が日本を守ってくれるみたいな意見が蔓延しているが、「もしトラ」を機にもう一度落ち着いて考えてみる必要がある。少なくともアメリカ軍や自衛隊の基地を沖縄に押し付けておけば、安泰という固定観念は終わりにしなければならない。
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