2020年08月01日

沖縄は最多感染者数を連日更新

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 土曜日である8月1日の昼、国際通りを歩くと、戻りかけていた人通りがまた減ったように思える。前日に出された緊急事態の影響かもしれない。

 沖縄県はここのところ毎日、倍々ペースで新型コロナの新規感染者数が増加、連日過去最多を更新し7月31日は71人を記録した。10万人あたりの新規感染者数では東京、大阪に次ぐ全国3位に相当する。周囲を海に囲まれ他県との医療協力が難しいことを考えれば、東京や大阪に比べても医療体制は厳しい状況かもしれない。5,6月の2カ月間、まったく新規感染者を出していなかった後、7月に入り県をまたいだ人の移動が始まると、一気に感染者が増えたことは、ウイルスは人が運ぶことを如実に表すとともに、観光収入に頼らざるを得ない沖縄の宿命を印象づけたといえよう。

 沖縄県は7月31日、県独自の緊急事態宣言を発令し本島全域で不要不急の外出自粛を求めたが、県としてまとまった対策を出すのは遅かった気がする。おそらく、観光に頼る県経済への影響を恐れて緊急事態宣言をためらったのだろう。早めに思い切った対策を打った方が早めに感染の拡大を抑えられ、長い目でみれば経済への影響も最小化できるが、感染対策が経済に及ぼす直接的な影響の大きさや「もしかしたら感染の広がりが自然に止まるのではないか」という希望的な観測が頭をよぎり決断をためらわせるのにちがいない。しかし、こうした犠牲を伴う決断は政治にしかできない。

 新型ウイルスは、多くの無症状者を生み、症状が出るにしても1週間以上かかるという性質を駆使して巧みに広がっている。人間が社会を形づくり協力し合って発展し、絶え間なく経済の歯車を回し続けることによって豊かな暮らしを築いたことを、まるで読み切っているかに思える。ウイルスには意識もなければ、AIも搭載されていない。人間が医療を発展させウイルスの拡散を止めようとすれば、その医療の網目をかいくぐる新型ウイルスが生まれる。それがウイルスの進化なのだろう。対抗するためには、医学の力だけでなく、早めの対策を打てる政治の決断力も必要になろう。
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2020年07月26日

新型コロナとハンセン病

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 再び新型コロナ感染が全国的に拡大する中、ニュースを通して伝わる政府や自治体のトップの表情は、言うことを聞かない子供を叱る親のようであり、口から出るメッセージは、相変わらず「警戒」と「予防の徹底」である。厳しい言葉を並べれば感染が収まると思っているのだろうか。

 新型感染症だから分からない部分があるはずだが、感染の流行から半年が経過して情報の蓄積や科学的な分析が進み、どのようにこの感染症を恐れるべきか、ある程度概要が分かってきてもおかしくない。従来の感染症と比べてどれくらい恐ろしいのか、恐ろしくないのか。どのような状況で感染する例が多く、どの程度の予防策ならば感染してしまうのか。政府の判断の背景にはどのような科学的な分析があるのか。少なくとも、メディアを見る限りは、具体的な情報が公開されているとは思えない。

 情報公開のないまま警告ばかりが強められれば、感染者への差別を助長しかねない。沖縄に設けられたハンセン病患者の隔離施設「愛楽園」の歴史を振り返ると、感染症と差別の根深い関係が浮き彫りになる。感染力が弱いにもかかわらず、いったん発症すれば施設に強制隔離され一生出られない。本人の意志とは関係なく不妊手術が施される。病気を忌み嫌う意識が社会に浸透し、感染者を出した一族全体に差別が及びかねず、家族や親類との関係を完全に断ち切られる。治療法が確立し病気の全体像がとらえられても、差別と隔離政策は続いた。
 
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2020年07月18日

コロナ禍に映る戦前回帰

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 観光立県の沖縄県にとって、旅行代金の半分を補助する「GO TO」キャンペーンが7月22日から始まり期待するところは結構あるのだろう。最近、国際通りを見る分には、観光客が少しずつ戻っている。ちょうど夏休みの旅行シーズンに入り、キャンペーンを弾みにしてコロナ禍前の水準に近付けようという狙いだろう。

 ただ気になるのは、連日最高の感染者数を更新する東京都をはじめ、大都市部を中心に感染の拡大が見られることだ。観光客の到来を期待しながらも、感染の流入を不安に感じるのはどの観光地も一緒のはずだ。しかし、政府も東京都も積極的な感染防止策を打っているようには見えない。

 警報を打ち鳴らし、個人レベルで「三蜜を避ける」「マスク着用」など「新しい生活様式」を繰り返し訴えるばかり。ちょっと前まで叫ばれた「ステイホーム」について、某学者が「犬になった気分」と指摘したのは明言だ。「欲しがりません、勝つまでは」をはじめ精神論で「国難」を乗り切ろうとした戦前・戦時中と変わりない。わが国には、戦後70年以上たっても、国民を「教化」することによって国の方向性を変えられると考える政治家が多いのかもしれない。

 それにしても数年前、「国民を守る」と高らかに叫び、安全保障関連法案を成立させ憲法を改正しようとする政府は、今やコロナ感染については「自分の責任で守れ」と突き放しているようにしか見えない。おそらく国民の7,8割以上は几帳面に「新しい生活様式」を守り、2,3割か、それ以上に少ない人々が政府や都の警告を無視して動き回っているのだろう。几帳面に守っている国民は、繰り返される警告にうんざりし、残りの少数者は警告をいくら繰り返しても聞く耳を持たない。だが、初めから分かっていたこと。これを前提に感染を防止するのが、現代における科学や政治の知恵のはずだ。
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