2018年01月14日

猫ブームと那覇の街角

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 最近は世の猫ブームの影響らしく、那覇の市場界隈を猫目当てに訪れる観光客も時折見かける。看板娘ならぬ看板猫として飼っている店があるほか、野良にも寛容なおかげか、公園や道端にもわがもの顔で寝そべる猫の姿がある。猫は沖縄の風景の一部と化しているかもしれない。私も、猫と犬を比べれば、どちらかといえば猫派。特定の主人になつかず気ままに過ごす猫に、ついつい自分を重ねあわせる。天邪鬼の性格のおかげで、猫ブームの声を聞くうちに、猫の写真はあまり撮らなくなったが、沖縄に移り住んでまもない頃は、カメラを持って那覇の街角を歩き、猫を追いかけていた時期もある。当時の写真と見返すと、ふてぶていしい猫ばかりアップで撮っていた。可愛さだけでなく、こうした表情もまた猫の魅力である。
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2018年01月07日

ヘリ事故の連続と沖縄差別

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 1月6日、米軍ヘリが伊計島に不時着した。1つひとつの事故だけに焦点あてれば、単なる「事故」にすぎない。しかし、伊計島への不時着は昨年1月にも発生し、昨年10月に東村でヘリ炎上事故が起き、前月13日には宜野湾市の小学校がヘリの窓落下という事故に見舞われている。事故を1つの流れの中でとらえ、本土でこれだけ連続するだろうか、本土で米軍が同じような対応するだろうかと考えるとき、「沖縄では仕方ない」「沖縄ではこの程度のことは構わない」という差別意識が働いているのではないかという重い疑問がわく。

 米兵による性暴力についても同じことがいえるだろう。弊社発刊の『沖縄の基地と性暴力』は、米軍統治時代に満ちていた差別意識を指摘している。それは単なる推測ではなく、あからさまなものであった。米軍の直接統治がなくなっても、米軍は日本の法律の及ばないところにあり、現在はそうした差別意識が消えたといえるだろうか。

 『沖縄の基地と性暴力』は米軍統治時代の差別構造を次のように説明している。「日本兵による中国人女性への性暴力を描いた第1章を思い出してもらいたい(このホームページの「沖縄探見社の本」のコーナーで、『沖縄の基地と性暴力』の一部抜粋のうち「沖縄守備軍は中国で何をしたか」を参照)。小さな頃から中国人を蔑視すると同時に、「優越民族」日本人による世直しとして旧日本軍の中国大陸への侵攻を正当化してきた。実際に兵士となって、中国軍と戦火を交えるうちに中国人への憎悪と差別意識はさらに増幅し、女性への性暴力さえ罪の意識を失う。

 米兵による沖縄女性への性暴力も、日本兵を米兵に、中国人女性を沖縄女性に置き換えれば同じ構図でみられる。「ファシズム国家」「貧しく野蛮な未開国家」日本は、「民主国家」「豊かな文明国」米国によって打ち負かされ治められるべき存在とみなす。日本軍との戦闘によって被害が出れば、さらに日本への憎悪と差別意識が膨らんだ」

 「例えば賃金では、米軍統治下の沖縄の人々は、本土の日本人や外国人との間には、意識的に大きな差をつけられた。沖縄タイムス1952(昭和27)年6月14日付によれば、本土企業の幹部は、同じ職種でも賃金格差があることを次のように認めている。『トラックドライバー等の普通労務者賃金(時給)は(中略)B円に換算すると23円31銭から20円となり琉球労務者のトラックドライバー17円、軽トラックドライバー11円に比較しても大きな差がある。社として優秀な労務者に対して日本人労務者並の賃金を支給したいが、布令によって労務賃金が規定されているので、どうにもならない』。

 1956(昭和31)年5月には、労働組合の国際組織である国際自由労連の調査団が訪れ、沖縄の労働条件などについて調査した。それによれば、次のように「人種差別賃金」が行われていると批判した。

国際自由労連が指摘した賃金格差

国籍     最高時給 最低時給
米国人    6.52ドル 1.20ドル
フィリピン人 3.77ドル 0.52ドル
日本人    1.03ドル 0.83ドル
沖縄人    0.36ドル 0.10ドル    

 差別は賃金だけでなく、労働条件や職場環境にも及んだ。1952(昭和27)年には、本土の土建工事会社である松村組、アメリカ人請負業者のVC、軍関係の機械修理工場KOTの3社で社会の注目を集める労働争議が発生した。いずれも、きっかけは突然の解雇だった。労働者の証言によれば、KOTで会社側の代表者と労働者たちが交渉していたところ、空軍警察官10人ほどが現れて労働者たちを警察本部へ連行、なぐったり壁に向かって立たせたりした後、解雇に同意させたという。3社いずれのケースも、労働者はストライキに踏み切ったり解雇撤回や退職金の支給を行政へ訴えたりしたが、要求はほとんど認められることなく争議は自然消滅に向かった」

 「沖縄と同じように連合国の占領下にあったにもかかわらず、日本本土では1946(昭和21年)から1947(昭和22)年にかけて、労働者の基本的な権利を定めた労働三法(労働組合法、労働関係調整法、労働基準法)が相次いで施行された。一方、沖縄で労働三法が成立するのは1953(昭和28)年7月(施行は同年10月)である。しかも、米軍はあらかじめ布令を発して、軍雇用員をこの労働三法の適用範囲から除外した。

 差別待遇を感じるのは賃金や解雇手続きだけではなかった。軍関連の職場に1951(昭和26)年就職した元衆議院議員の上原康助氏は著書『基地沖縄の苦闘―全軍労闘争史』で次のように語っている。『50年代前半までは沖縄人を人間扱いせず、まるで虫けら同然だった。沖縄人とも呼ばず、琉球人、またはローカルネイティヴ(地方人または土人)という呼称を意識的に使い、お前らは日本人ではないのだ、という態度で徹底した差別政策を押しつけた。便所も、米人専用(注・本土からきた日本人も使用)と沖縄人用を区別した。むろん、米人専用は設備も立派であった』。コーヒーショップや簡易食堂があっても、沖縄の人々は利用できなったという」
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2018年01月02日

正月の首里城と出版展望

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1月2日、今年初めて首里城に向かう道は、麓からずっと渋滞の車の列。首里城への観光客と初詣客が入り交じっているようだ。季節感の薄くなっている時代といっても、縁起物を求めて一度に人は動く。首里城観光の起点である首里杜館の入り口にふだんからあるシーサーの横には門松が並ぶ。

 正月を迎えられたというよりは、いろいろな仕事が重なって時間に追われるばかりだった年末を何とか乗り切りほっとした気分にひたる。足元だけを見ていた毎日から、心を落ち着かせ顔を上げると、目の前に広がるは出版業の茫洋とした先行きである。ここ数年、扱いが悪くなった書店が目につき、返品も早くなったような気がする。

何よりもショックだったのは、編集の仕事を回してくれた上、弊社の本の製作から在庫管理まで協力してくれた会社が今月いっぱいで事務所をたたむことだ。こちらも出版業から身をひくつもりはないが、とりあえず在庫の行き先を探すのがせいいっぱいである。

 年々スピードを増す時代の流れ。抗って何も変えないのも1つの手だろう。しかし、私の場合はこのまま呆然と立つだけでは、よるべのない海まで流され藻屑と化す。何かを変えて乗り切る方法を考えなければならないことだけはひしひしと感じる。
posted by テツロー at 21:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする